yurico’s note

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27年間不動・わたしの人生におけるナンバーワン映画〔トーチソングトリロジー〕

  

これ以上に心打たれる映画にこの先出会えるだろうか?と思って27年。
やっぱりまだ出会えていない。
今なお愛してやまない映画のお話を・・・


その映画の出会いは27年前
東京の大学に通う親友の家に年に遊びに行っていた時のこと。
「そう、こないだ衛星でやってた映画が良かったよ。観る?」友の言葉から


そこで出会ったのが

トーチソングトリロジー」でした。

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福岡へ帰る日も、家を出る直前まで観てた(ずっと付き合ってくれる友)
あんまり私が観るものだから友達が「持ってていいよ」って。
録画したVHSのビデオテープを私にくれて
擦り切れるほど観たものです。


原作は俳優であり歌手・作家でもあるハーヴェイ・ファイアスタイン氏。
この半自伝的な「トーチソングトリロジー」はオフブロードウェイを経て、1981年にブロードウェイにて舞台化され1983年トニー賞で演劇賞の脚本賞・主演男優賞に輝いています。
1988年に映画化・1990年アカデミー賞では脚本賞にノミネート。
舞台も映画も主演はハーヴェイ・ファイアスタイン氏自身です。


ストーリー

・舞台は1970年代ニューヨーク。アーノルドは女装しゲイバーで歌い生計をたてている。
もう若くなく容姿も衰えてきたと嘆きながらも恋をしたい気持ちは変わらない。
新しく恋に落ちた高校教師の恋人のエドは蓋を開けてみればバイで、アーノルドの誕生日を忘れたうえに、あろうことか彼女を連れて帰ってくる始末。
結局アーノルドは身を引きやがて2人は結婚する(頭にくるけどエドはいいやつで憎めないキャラ)

・ある日、勤めるゲイバーでトラブルに巻き込まれた青年アランを助ける。
若くてハンサムで純粋なアラン。アランはアーノルドに好意を抱く(アランを演じるマシューフロデリックが可愛い♡)アーノルドもアランに惹かれるが、もう傷つくのはたくさん、と慎重な態度をとりつつも次第にアーノルドも自分の気持ちに素直になる。
アランからのプロポーズを受けるアーノルド。結婚して養子を迎える手続きをし、新しい人生を歩もうとした矢先、アランは同性愛嫌悪者から襲われていた老人を助けようとして殺される。

・ある日学校に呼び出されるアーノルド。養子として引き取ったデイビッドもゲイで、それが原因でケンカになり学校に呼び出される事もしばしば。でもデイビットはやんちゃながらも良い子に育っていた。
結婚生活がうまくいっていないエドも転がり込み男3人の生活を送っているところに、父の死後フロリダに隠居している母親が訪ねて来る・・・

 
時代背景

・物語の舞台は1970年代・まだLGBTという言葉もなかった半世紀前のニューヨーク。
当時の同性愛に対する差別や偏見はどれほどのものだったのか。
アランはホモファビア(同性愛嫌悪者)により殺されてしまいます。
怒りと悲しさでやりきれなさでいっぱいになるけどこれも現実なんだという憤りもハーヴェイ氏は伝えたかったのでしょう
この映画をエイズとたたかっているすべての人に捧げる」エンドロールの最後の言葉が胸に刺さります
✳公開当時の1989年代後半はエイズが世界中で猛威をふるっており、ゲイの病と言う風潮が世の中に蔓延っていた時代です。


・原作者のハーヴェイ・ファイアスタイン氏は自身がゲイである事を公表しています。
彼がどういう気持ちでこの作品を書いたのか、について調べたりした事はないのですが(当時はそんな事さえ思いつかなかった。ただ観るのに夢中で)
半自伝と言う事なので親との確執は少なからずあったのだろうと想像します。
事実がどうかは分かりませんがきっと彼の「希望」が描かれているのではないでしょうか。

 
トーチソングトリロジーは文字通りトリロジー(三部作)になっています。

 

・一部はエドとの話

・二部はアランとの話

・三部は母親との話

 

第三部に心を掴まれます

母親は同性愛者であるアーノルドを認めようとしません(ちなみにアーノルドの両親は敬虔なユダヤ教信者)
そんな母親に何を話しても無駄だと今まで互いに歩み寄らなかった母と初めて本音でぶつかり合います。

愛する者を失っている2人。
『悲しみは同じ』と言うアーノルドに対し『35年連れ添った夫婦とは愛情が違う』と尚も否定する母親にとうとう本心をぶつけます。


『パパは清潔な病院で大往生、アランは路上で殴り殺された!27歳の若さで!バッドを持ったチンピラに、ゲイは人間ではないと思う奴らに!』
『ゲイに愛はないと思ってるママの同類に!』

アーノルドは訴えます
『息子にデイビッドに教えたい、ゲイは恥ずべき事ではないと』

言い合いの中『お前なんか産まなきゃよかった』と言う母親に
『僕がゲイだって事を隠していた方がよかった?子供の全てを知るのが親よ』
『僕は誰にも頼らず生きていける。だから愛と敬意以外は求めない。それを持たない人に用はない』

『ママ愛してる、心から。でも僕を見下げるなら出ていって』

母親は言います『確かに、私はおまえに背を向けた。でもお前も私に背を向けた』
『アランの事、話してくれれば、お前をなぐさめ勇気づけていた』と。

 

『ママ、彼が恋しい』

『時が癒してくれるわ』

『傷が消えるのではない
 傷は残って指輪のように体の一部になるの
 傷があることに慣れてしまう
 慣れるけど忘れはしない』
忘れなくていいのよと、母親はそっと部屋を後にします。

窓から見送るアーノルド。
母親はアーノルドを見上げキスを送る。
互いを見つめるまなざしは少し寂しげで優しくあたたかい。

一人部屋に残ったアーノルドは
母親からの土産のオレンジ、エドが忘れていった眼鏡、デイビットのキャップ
そしてアランの写真。愛する人達を抱きしめる。
ラジオから流れるデイビットがリクエストしてくれた曲を聞きながら・・・

ああダメだ・・やっぱり書いてるだけで泣てしまう。

でもこの涙は悲しい涙じゃない。
トーチソングトリロジーを観た事のある人なら「分かるよ~」と思ってくれるだろうし
まだ観た事のない人は観て感じて欲しい。
この映画は「人を愛するって互いを尊敬し合う事」だって教えてくれる。
それは恋人同士だけじゃない、友達や親子の間にある「愛」を含んでいる。
全てを分かり合うのは難しい。
けど分からなくても、分かろうとする気持ちが尊いと思うから。

 

脚本賞を取るだけあってセリフにセンスとユーモアたっぷりで面白い!!
4人で食事をするシーン。ローレルが「コンピュータが苦手でハードとかソフトとかが分からないの」と、するとアランが「人間と逆だって思えばいい。体に入る方がハードで」って←あわてたアランに止められるっていう(笑)
英語が不自由じゃなかったらもっと面白いんだろうなあ~

あと、セットや小道具がとっても素敵でね。
作り手の作品への愛情を感じます。


ただ・・・本当に残念な事に・・・
廃盤になってるんですよね(号泣)
実はつい最近、VHSがない事に気づき一週間ずっと探したんですが見つからず・・・
もちろんあっても観れないんだけど「そこにある」って事に意味があったのでショックでね。
DVD買わねば!って検索したら無いんですよ。中古はかろうじてあるんだろうけど圧倒的に少ないみたい。

版権の問題とかあるんだと思うんですが・・・
こんな名作を観れないなんて悲し過ぎるし残念過ぎるわ。
どうかもう一度販売して欲しい。
こういうのってどこに言ったらいいの?
映画館での上映も難しいんでしょうかね。
今の時代にこそ観るべき映画だと思います。ほんとに。

それとね、私が擦り切れるほど観た「衛星第一」で放送されたものと、むかーし一度借りたレンタルビデオでは訳が違ったんですよね。断然、衛星の方の訳が良かったんだよなあ。
だって訳で伝わり方って全然変わってくるもの。
同じ作品で訳が複数あるってよくある事なのかな?
今回ドキドキしながら買ったDVDは「衛星」の訳でした!(心底ホッ)
訳は戸田奈津子さんだった。センス!


しかしとにかくね、ハーヴェイ氏演じるアーノルドの魅力的な事よ。
映画の冒頭、鏡に向かって自分の身の上を話すシーンから始まるんだけども最初から引き込まれるから。
しゃがれ声と演技が素敵過ぎる!!!本当にチャーミングな愛すべきキャラクターです。
舞台も観たかったなあ。
タイムマシンに乗ってブロードウェイでの舞台を観に行きたい!
※日本では2006年にパルコ劇場にて篠井英介さん主演で上演されています(アランは何と長谷川博己さんでした)

 

ゲイとしての生き方。愛と絆と誇りを描いた「トーチソングトリロジー
素敵なラストシーンを何度でも観ていたい・・・
これからもこの映画はずっとずっと私の心のお薬であり続けます。

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